
6話で一番解釈に苦しんだのが、タイトルに書いた“道端の十円玉”
彰の父親が、もう会社を継がなくて良いということを彰に伝えるために、
金種ごとに分かれたお金の入った手さげ金庫(しかし大会社の社長なのに
手さげ金庫&電卓で計算って?

の中を人間の住む世界にたとえて話す場面に使われたキーワードだ。
父親は、自分のことを1万円札にたとえて語った。
そして、おんなじようなやつらとばかりしか出会えないからつまらない。
だからお前は道端の10円玉になれ。と彰に諭す。
この場合のたとえたお金って、職業のことを表してるのか、それとも
人間としてを表してるのか、それがよくわからなかったんだよね。
いや、自分は大会社の社長だから1万円にたとえたと捉えるのが
一番合ってるとは思うが(人間としてでは、この話は成り立たないから)
問題なのは、“道端” と “10円玉” だ。
“道端”は、狭い金庫の中ではなく、地味でも広い場所を意味して
いるのもわかる。
“10円玉”は、何だろう?と考えてみる。
金種の中では、上からだと8番目、下からだと3番目の場所に位置してて
階級で言うならけして高い地位ではない。
つまり、人間として のたとえに使うにはちょっと低すぎる気もするので
この場合は職業的なものを意味するのかなと思ったりもした。
つまり、、“道端” と “10円玉” では、
たとえているものが違う種類のものの感じがするのだ。
いや、考え方によっては、職業も人間的なものもひっくるめて
という、複合的な意味で使ったのかも なんて思ってもみたりした。
ところで、今回放送分にはサラリーマンがいろいろと登場する。
道行く一般のリーマン、修二の父親や担任の横山先生。この回では
ないけど信子の継父もリーマンだ。それもほんとにありふれた感じの。
彼らを手さげ金庫の中のお金にたとえたら、ちょうど真ん中に位置する
500円玉か1000円札というところか(あの金庫には2千円札が
なかったけどあると仮定してね)
それは彰の父親とつまりはいくらも違わないということにもなるのかも
しれない。
でも“道端の10円玉”は、あきらかに彼らとは違うものであり、
父親はそうなって欲しいと息子に願い、息子もまた、そうなりたいと
願う人間。
それって、具体的にはどういう人のことかな?と思ったんだけど、
ドラマの中では、『ゴーヨク堂の店主』と『豆腐屋のおいちゃん』
がもしかしたら当てはまるのかな? と思うのだが、
どうなんだろうか?
この意味はほんと脚本家さんに聞いてみたいことの一つだ。