2005年11月26日

ドラマ『女の一代記シリーズ2』 〜越路吹雪編〜

昨日はまた号泣して寝ちった〜〜〜あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
だっから、まぶたとか目の淵を誰かに「閉じろ〜」て指でつままれてる
ような感じ〜ドコモ提供(まあ、それはどうでもいいけどね)

越路さんのお話は、その昔NHKで連ドラ化されたことがあり、すごく
感動して観た記憶がある。あの時も確か宝塚出身の女優さんが熱演されて
いた。

で、今回のお話は、岩谷時子さんとの友情物語が軸になっていて、
恋愛とかのエピソードはほとんどなしだったけど、ま、そりゃ
そうだよなあ〜〜。
だって、天海祐希主演のドラマに松下由樹が出るってことは、
それ相当の役どころだからで、実質ダブルヒロインくらいの
重さはあったわねえカチンコ
この二人が一緒のシーンが全体の7割くらいはあったようにも思うし。
だからこそ余計に見応えもあったんだけどね。

どんな世界でもトップに立つ人間は孤独だと言う。
周りにいる人間はみんな自分の富や名声にむらがってきてる
輩(やから)であって、そういうものを脱ぎ捨てた裸の自分を
愛してくれているわけじゃないから、心底信じられる人も
いなかったりするという。
有名人の人生を記した本なんかを読んでもたいていみんなそうだ。

でも、越路さんは心から愛し、信頼し、素直に自分の弱音を
吐ける相手が二人もいたんだ。それも女性と男性と一人づつ。
これって普通の人であってもそういう相手に出会えてる人って
そんなにはいないと思う。それほどに奇跡的に幸せなことだと
思う。

そんなデカイ幸せと同じくらいの大きさの苦しみも抱えていた
人だからこそ、多くの人を魅了する歌を歌えたんだとも思う。

その苦しみの根源は“自分には中身がない”ということ。
エディットピアフの生の歌声を聴いた時に強く感じた自分との違い。
その“中身”って具体的にはなんだったのかというのは、
私が推測するには“壮絶な経験”かな と思う。

越路さんはNHKのドラマでは、純愛で結ばれた年下の恋人が
いたんだけど、その人が病気で早死にしてしまうという経験を
されていたと記憶しているんだけど、魂が疼く(うずく)ような辛い
経験はそれくらいではなかったのかなと思う。
あとは比較的順風満帆に来た人だったんじゃないかと思う。

“全身全霊”で人の心に届く歌を歌い上げるには、自分自身が
“魂”を激しくゆさぶられる経験をそれなりにしてこそ、と
いうか、実際にはその辛い経験を一つ一つ乗り越えていってこそ
“中身”が詰まってゆくんじゃないかって気がする。

それでも、「自分には中身がない」という大きな壁にいつも
ぶつかり続けていたことも実は十分“壮絶な経験”だったんだ
とも思う。だからこそあれだけの歌を歌えたんだろう。

なんか、無性に越路さんのCDが聴きたくなってしまったなあ音楽
posted by まりりん at 12:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組感想日記
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